25.フィレンツェでイタリアの底力に触れる

 

ところで、8月のヨーロッパはバカンスの真っ最中である。イタリアも例外ではない。

どうも街じゅうが閑散としていると思ったら、どのお店にも「8月いっぱい休業」と書いた紙がドアに貼ってある。何と、彼らは丸々1ヶ月間も仕事を放っぽって遊びまくるのである。それってアリ?!と言いたくもなるのだが、それがアリなのだった、このイタリアという国は。

イタリア人は、人生を楽しむことにかけては誰もが達人だ。銀行員も、警察官も、ウェイターも、ただ歩いている人も、皆どこか楽しげである。大抵鼻歌など歌っている。暇さえあれば、というよりも彼らはいつも暇そうなので、こちらに隙さえあれば、話しかけてくる。見るからにアジア人で、イタリア語なんて解るわけもなさそうな私たちに、構わず早口のイタリア語でベラベラまくし立てる。ついついこちらも笑ってしまう。

その代わり、面倒くさいことは大嫌い。仕事も本当はしたくない、できれば遊んでくらしたい、という気持ちが見え見え。10時開店といって10時に開いていたためしがないが、5時閉店といったら4時半には片付け始めている。ある旅行代理店に入ったら、お客が並んでいるそばで店員が店備え付けのゲーム機で遊んでいた。さすがに呆れた。

イタリアを旅行すると、そんな場面にしょっちゅう遭遇する。青い空と青い海、明るい太陽の下でバラ色の人生を謳歌する、陽気で気さくな人々と取るか。はたまた、きれいな景色と素晴らしい祖先の遺産と美味い食べ物に恵まれた土地に生まれたことをただひたすら享受し消費する一方の、能天気で自分勝手な民族と取るか。どちらにしろ、日本とは、日本人とはかけ離れた生活が、時間の流れが、人生哲学がそこにある。それに触れたくて、私たちはイタリアに行ってみたくなるのかもしれない。

 

 

さて、私たちはミラノの次にフィレンツェを訪れた。湿度が低く幾分爽やかだったミラノから、南に下ってきたので、急に湿度が上がった。じっとり汗ばむ背中に、Tシャツが張り付く。相変わらず、この夏の太陽は容赦を知らない。

 

フィレンツェでは、絶対ユースホステルに泊まろうと決めていた。それっていつもじゃん?いや、違うのだ。ここのユースは、中世の貴族の館を敷地ごと買い上げて改装した、ユースとは思えない豪華な造りが“売り”なのだ。

だが、2人はいろんな点で大誤算を犯していた。まず、貴族の邸宅というだけあって、立地条件が問題だ。本来なら市街地の喧騒から離れていて「良い」というべきなのだろうが、駅からバスで30分も揺られなければいけない。

それに、敷地が広い。広すぎる。バス停はその名も「ユースホステル入り口」というように、ユースの入り口の真ん前なのだが、そこからユースの建物にたどり着くまで10分はかかる。周りは森やワイン畑に囲まれて環境抜群!だけれど、立っているだけで汗が出てくるような状況で、しかも坂道で重たいスーツケースを引きながら、景色を楽しめというのも酷な話だ。

そして、これは私たちが迂闊(うかつ)だったのだが、部屋が取れなかった。8月真っ盛り、世界中から観光客が押し寄せる時期に、イタリアでも3本指に入る人気の都市に、予約を取らずに直接訪ねて行ったのだから、まあ自業自得か。何とかベッドの空きを確保できたものの、以後こういう「ガチンコ勝負」は裕子の最も忌み嫌うところとなり、それを受けて毅は宿の手配・予約に更なる苦労を強いられるのであった…。

 

 

どうにか落ち着いたところで、早速市内観光に出かける。町中が熱気に満ち溢れているのは、狂ったような気候のせいだけではない。どこもかしこも人!人!人!ミラノでもそうだったが、ここフィレンツェでも、地元人らしき人はほとんど見かけない。観光客か、観光客目当ての商売人か。もともと人ごみが得意ではない毅と裕子、暑気と人に当てられて、すでに意識モウロウ。

 

こりゃ〜観光よりもまずは冷たいジェラートだ!と、目指したのは“ヨーロッパで一番美味しい”というジェラート屋さん。街の中心からかなり距離があったが、お互いを励ましつつ必死の形相で歩いた。ようやく発見した店先には「9月から開店します」の張り紙が。今日って…823日だっけ?――余裕でアウト!!

もうこうなったらどこでもいいや!とは思わないのが、食い意地の張っている私たちらしいところ。今度は“フィレンツェで2番目に美味しい”というジェラート屋さんまでカムバック。そこで食べたジェラート(アイスクリーム)の美味しかったこと!あれは決してのどが渇いていたせいだけではない。

ちなみに、イタリアのジェラート屋はどこもかしこも全部美味しい。種類が実に豊富で、ディスプレイの仕方も芸術的。まるでケーキのデコレーションのよう。暑い夏には、特にフルーツ系のシャーベットがお薦め。何十種類の中から味を選べるので、優柔不断のあなたはいっそのこと全種類制覇してしまおう。

 

 

フィレンツェは、観光の町である。それはもう、ミラノの比ではない。そしてフィレンツェは、ルネサンスの町である。ここでダンテが、ミケランジェロが、ダ・ビンチが育ち、世に出た。ちなみに、フィレンツェという名前はイタリア語で「花の都」から来ているが、英語だとフローレンス。全く印象が変わってしまう。

私たちは、ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)に行った。フィレンツェの象徴であり、ルネサンス建築の代表作ともいえるこの建物は、ブルネレスキが当時の技術では不可能と言われたドーム部分を設計・建築したことで知られる。ここまで来たからには!というわけで、高さ90mを越えるドゥオーモに登ってみた。キツさ加減はドイツのフライブルクの方が上だが、こちらは途中で丸天井に描かれた「天国と地獄」図を間近で鑑賞できるのがいい。登りつめると、丸屋根の外に出られるようになっている。眼下に広がる360度のフィレンツェの眺望は、ここまで登ってきた苦労を吹き飛ばして余りある。

余談だが、ここフィレンツェで知り合った日本人の女の子は全員「『冷静と情熱の間』を観てからずっと来たかったんですぅ〜」と言っていた。裕子は江國香織の方の本だけ読んで映画は観ていない。10年ぶりにかつての恋人と再会する舞台がフィレンツェのドゥオーモだからって、竹之内豊もケリー・チャンもゼーハー言ってこの階段を登ったのかしらん?かなり間抜けな光景である。

 

パラッツォ・ベッキオ(ベッキオ宮殿)が面するシニョリーア広場には、ミケランジェロのダビデ像(レプリカ)を始めとする様々な彫像が置いてあって、観光客に裸体をさらしていた。毅には、ネプチューンの噴水がことのほかお気に召した。さすがイタリア、噴水の水の出し方も一味違う?!

さらに歩くと、アルノ川にぶつかる。ポンテ・ベッキオは、期待はずれだった。橋の上に商店があり、さらにその上に回廊が乗っかっているという珍しい橋なのだが、どうもゴミゴミしているし、何よりも川の水が汚い。橋を渡る気にもなれず、遠くから写真を取るだけにしておいた。

 

中世から変わらない石造りの建物を見上げつつ、石畳の道をぶらぶら歩いていると、ひづめの音も軽やかに馬車が行き過ぎる。もちろん観光客向けで、でも傍から観るほどロマンチックではなさそうだ。乗り心地が悪そうだし、しかもたまに馬が“落し物”をしたりする。動物好きな2人は、広場で退屈そうに客待ちしている馬車の馬と目が合ってしまうと、何となく申し訳なくて目をそらしてしまう。どこにでもある、ヨーロッパの観光地の風景といえばそうかもしれないが。

 

バスでアルノ川を渡り、対岸のミケランジェロ広場まで足を伸ばした。高台にあるこの展望台からは、フィレンツェの街並みが一望できる。バラ色に光る屋根瓦の所々に、教会や宮殿が頭を出している。街中は、建物が密集し街路が入り組んで狭苦しいが、広くて開放的なこの広場は、眺望もよく人も少ない。穴場だ。ただ、展望台には日陰がなく、アスファルトで目玉焼きでも作れそうなほどカンカン照りなのには参った。日射病にはくれぐれもご注意を。

 

 

フィレンツェで印象的な出来事といえば、毅の絵画人生が開眼したことである。

これまで毅は、絵に対して過剰なまでに拒否反応を示してきた。何しろ、どこが面白いのか、どこを観るべきなのか、本物を(わざわざ)(金を払って)観る理由が解らない。「写真や本で充分じゃない?」

その毅が、変わったのである。きっかけは、フィレンツェのウフィッツィ美術館で日本語のオーディオガイドを借りたことだった。館内にはルネサンス絵画が時代順に展示されていて、解説も丁寧で解りやすかった。もちろん、この美術館がイタリア、否、世界でもトップクラスの素晴らしいコレクションを有していることも、大いに影響したであろう。

「絵画って、面白いんだねー」ルネサンスの高尚な風に吹かれて、ついに食わず嫌いを克服した毅。さすが文化と芸術の街フィレンツェ、その実力は本物だったようだ。

 

 

この写真が毅のお気に入りのネプチューン。花の都フィレンツェも形無し…。