22.でこぼこコンビ、ユングフラウに現る

 

私たちが泊まっていたグリンデルバルトのユースホステルは、山小屋風に壁や窓枠まで全部木で統一されていて、なかなか良さ気な雰囲気であった。

ただ、外観や中の造りだけでなく、宿泊システムも山小屋的だった。2人の泊まった部屋には6つのベッドがあったが、それらは横一列に並んでつながっていて、ベッドというよりむしろ板の間という感じ。当然、男女同部屋。つまり、正真正銘の雑魚寝スタイルである。

これまで何カ国かの安宿を渡り歩いてきた毅と裕子ではあったが、この手のドミトリーには初めて遭遇した。かなりビビる。同じ部屋の人との相性いかんによって、以後の宿泊の快適さ加減も左右されてくるのがドミトリー形式の常ではある。がここではそれ以上、「隣のベッド」も重要ポイントということになる。各ベッド間は、寝返りを打ったら隣の人の寝息でまつ毛がそよいじゃうくらいの距離。う〜む…。

一応これでも、結婚してからまだ1年ちょっと。他人に「じゃーまだホヤホヤですね〜」などと冷やかされると「イエイエそんなことないっスよ!()」「そうそう、もう全然!! ()」と速攻で力いっぱい否定してしまうのは、照れ屋さんだからゆえなのである。お財布の都合上毎晩は無理としても、本当はダブルルームに泊まりたい。いくら安宿でも、少なくとも別の部屋になることは避けたい。できれば相部屋の人数も少ない方がいい。だってまだまだ新婚ホヤホヤなんだも〜ん。

私たちが部屋に入ったときは、部屋にはまだ誰もいなかった。これ幸いと端っこからベッドを占領する。一番窓際は裕子、その隣は毅。いったい毅の隣にはどんな人物が寝ることになるのであろうか?!

 

 

 果たして、お隣さんは白人男性二人組だった。アメリカのシアトルから来たこのおじさん(おじいさん)たちには、毅も裕子も終始飲まれっぱなしであった。

ドナルドは、髪もひげも眉毛も見事な白一色。それがまた素晴らしく見事な白ヒゲなのだ。フサフサしていて柔らかそうで、あぁちょっとだけでも触ってみたいな…とついつい目線がおヒゲの方に集中してしまう。眼鏡をかけないカーネルサンダースおじさんか、はたまた季節外れのサンタクロースか。

 そしてもう片方のジョンはというと、外見はちょっと恐い。いわゆる鶴鶴いや釣る釣るいやツルツルという状態。頭だけでなく目もギラギラ光っているのもコワモテ。話してみてもちょっと恐い。ブラックなジョークが多くて、ただでさえ英語が母国語でない毅と裕子にはいまいち笑えない。極め付きが、とにかく女好き。女の子と一緒に写真に写るときは肩を抱く、というより抱きつかれる。通路ですれ違うときはなぜかすり寄ってくる。裕子に対しては、夫持ちの身分なのでそれほど露骨ではないものの、同部屋の韓国人の女の子たちや受付のお姉さんにはアプローチも強烈だ。どこまでもエネルギッシュなおじいさんである。

 

 サンタのおじいさん・ドナルドは、かつてアメリカのジュリアード音楽院で教えていたほどの超一流ピアノ教師で、今はシアトルの超豪邸に住みつつ生徒を取っているという。留学生も多く教えているためか、日本人の私たちにも聴き取りやすく解りやすい英語を意識的に話してくれる。自分は結婚していないが子供は大好きで、恵まれない子供たちの里親になっているのだそう。旅行では必ずユースホステルに宿を取って若者と交流するのが楽しみらしい。「シアトルは綺麗だからぜひ来なさい。ホテルなら私の家に泊まればいい、なにせ部屋はたくさんあるから」と外見だけでなく内面もサンタさんのようである。

一方のジョンは、会社の社長さんらしい。米人には珍しく60歳を過ぎても頑張っていたが、奥さんの死を機に、4050年来の友人であるドナルドに誘われて今回の海外旅行に来た。結婚していないドナルドを家に呼んでは食事したりしているので、まるで本当の家族のような付き合いをしているのだという。確かに、根はいい人なのだろう、ドナルドが私たちをシアトルに誘えば、彼も負けじと観光案内を買って出る。目の悪いドナルドが階段を上り下りするときは、自然な様子で介助する。

姿かたちも性格も生き方もまるで違うからこそ気が合うということもあるのだろう、実に気の置けないやりとりをしている。友達とは不思議なものだ。

 

 さて、裕子の陣取った窓際とは反対側の壁際には、韓国人の女の子たちが寝ることになった。ドナルドは女の子の隣。ということで、毅の隣はジョンに決定。これで一件落着と思いきや、ドナルドの寝息が、一種独特で、なかなか寝付けなかった。長い夜だった…。

 

 

 翌日、毅&裕子とドナルド&ジョンは、一緒に行動することになった。旅行が趣味でスイス訪問も20回を越えるベテランバックパッカーであるドナルド氏によると、明日はもっと天気が下り坂になるらしい。今のうちにユングフラウヨッホに登ってしまったほうが賢明だろう。亀の甲より年の功、ガイド役を買って出てくれる彼に私たちもお任せすることにした。

 グリンデルバルトの駅から、ユングフラウ鉄道に乗る。この登山鉄道は何と岩山の中をくりぬいて作られている。角度のある地下鉄のようなものである。途中2ヶ所に駅があって、岩壁に開けられた窓から下界の景色を眺めることができる。1811年、今から200年近くも前にこんなものを開通させてしまったのだから、スイス人の山にかける情熱はすごい。

ただ、運賃は往復1人約12000円(私たちは『ハーフプライスパス』という全ての公共機関が半額になるパスを買っていたが、それでも1人約6000円)。めちゃ高っ!2度も3度も乗れる金額ではない。それに麓が晴れていても頂上が晴れているとは限らない。でもユングフラウの峰に行く唯一の交通手段なので、利用するしかない。ほとんどギャンブルである。何とかしてくれ、スイス国鉄よ!!

 

ユングフラウ鉄道の最終到達点(3475m)その名もトップオブヨーロッパ駅に降り立つと、高度と寒さのあまり頭痛が襲ってきた。ここが高地であることを身を持って実感する。

駅から少し歩くと「氷の宮殿」といって、氷河の氷を削った彫刻作品がずらりと並んでいた。氷河の中をくりぬいて通路や彫刻が作られているのである。寒いはずだ。表面をつるつるに磨かれた氷のペンギンや白熊がほのかに青白くライトアップされていて、氷ではなくプラスチックのように見えてしまうのが不思議だ。さっそく写真タイムである。それにしても、ジョンは「記念だから」という心理を上手く逆手にとって、女の子に急接近。通路が凍っていて足元が滑ることも、彼に味方している。さすが、と言うべきか?!

 

いったん駅に戻ってから、今度は高速エレベーターで展望台へと昇る。願いもむなしく、山頂部は濃い霧の中。吹き飛ばされそうなくらいの強風に時折みぞれも混じって、見ているだけでも凍え死にそう。それでも、せっかくここまで(高い金出して!)来たのだから、とドアを開けて1歩踏み出す。とたんに回れ右して帰りたくなった。これはヤバイ寒さだ。本気で凍死するかもしれない!生命の危機を感じる。かろうじて写真だけ撮ってから、温かい展望台の内部に文字通り逃げ帰ってきた。日本ではあまり気にされないが、欧米では鼻水をすするのはものすごく下品な行為らしい(だから皆ものすごい音を立てて洟をかむ)。展望台では、ズルズル、ブビーッ、という音があちこちで響き渡っていた。

直接氷雪の上に降りられるメンヒ側の峰と展望台をはさんで反対側の峰に、鉄で足場が組まれていた。そちらは風も弱く、ユングフラウとその氷河を見るには絶好のビューポイント。…のはずが、乙女は恥ずかしがりやなのか、厚く白い雲のヴェールを被っている。仕方がないので双眼鏡で下方の氷河ばかり見ていた。氷河の上をトレッキングしている人たちを発見したりして、それなりに楽しめるのである。

そしてこのときドナルドはといえば(ジョンは例によってそこらの女の子たちと記念撮影)、何と彼も女の子に囲まれて記念撮影の真っ最中であった。ただし彼の場合は向こうから「一緒に撮らせてください」と頼まれたのである。確かに、雪のアルプスに白ヒゲのおじいさんと来たら、あまりにハマり過ぎている。ていうかほとんど観光地でたまに出会うぬいぐるみか置物の人形状態である。もし彼が撮影料をせびったとしても、誰もちっとも不思議に思わないだろう。笑いをこらえるのに必死の毅と裕子であった。

 

 

それにしても、この2人と一緒に行動してみて思ったのだが、彼らの笑いははっきり言ってくだらない。どこが面白いのかさっぱり解らないのに、それを連発する。アメリカン・ジョークってこんなもんなのだろうか?

英語圏の人同士が笑っていると、英語を聞き取れない私たち日本人にとっては、何について笑っているのかさっぱり分からず、でも通訳してもらうわけにもいかず、結局笑いの輪に入れずに何となく肩身の狭い思いをすることが多い。それが、英語を勉強しなくては!という熱意に結びつく場合もあるのだから、悪いことばかりでもないのだが。

けれど、ジョンとドナルドのギャグの応酬を傍で聞いているうちに、小難しいことはもうどうでもいいような気になってくる。例えば

――(しんみりした雰囲気の場面で)

ドナルド「ジョンの家族とは本当に仲良くさせてもらっている。私が自分では家族を作れなかったから」

ジョン「俺は家族に恵まれた代わりにこっちが(と頭を触る)恵まれなかったけどな」

ド「それは俺にもどうにもできないぞ」

ジ「分かってるって」

――(毅が昼食で出てきたスープの写真を撮っていたら)

ジ「おい、気をつけろ」

毅「?」

ジ「今、スープから魚が飛び跳ねてったぞ」

←この魚のギャグ(?)の意味が解る方、毅・裕子にぜひ教えてください…。

 

 そんなわけなので、こちらもだんだん彼らのギャグに染まっていってしまった。

――(ジョンが韓国人の女の子たちに「彼氏はいないのか?何でできないのだ?ナンなら俺が“男”というものを教えてやろうか?」などと問題発言を連発していたとき)

 裕子「ジョン、いい加減にしないと、セクハラで会社を首になっちゃうよ!」

 ジ「…」

 ←ジョンは会社社長=経営者。首になることはありえません

――(さっきの「魚のギャグ」の一瞬後に)

 毅「おい、そっちも気をつけろ」

 ジ「?」

 毅「皿からニンジンが飛び出してったぞ」

 

そんなこんなで、綺麗な景色に囲まれながら楽しい?話題に花が咲いた、グリンデルバルトの日々であった。

別れ際、ジョンとドナルドの連絡先を教えてもらった。もちろん、機会があってシアトルを訪ねるときは、彼らに厄介になろうという魂胆からである。ところがその後、連絡先をメモした手帳をひょんなことから失くしてしまった。どなたか、この2人のおかしなアメリカ人を知りませんか?

 

写真:これがでこぼこコンビ。ドナルドのヒゲは彼の後ろからでも拝むことができる。