28.Oh・New York!

 

 さて、ニューヨーク、である。

 

 「夏のうちにロッキー山脈を見たい!」という山好き・毅の強い願いをかなえるため、私たちはヨーロッパ周遊を一時中断して北米大陸へと向かった。イタリアのベネツィアから、ドイツのフランクフルトを経由して、アメリカ合衆国のNYまでひとっ飛びである。

二人とも、NYは今回が初めて。アメリカの首都、いや世界の首都へいざ乗り込むのだから、ボルテージは否が応にも盛り上がる。大西洋を横切る夜間飛行の機内でも、目はギンギン。ここぞとばかりに、機内映画(タダ)を3本も見まくったのであった。

 

 

当然の報いとして時差ボケに苦しみつつ、J.F.ケネディ空港に降り立った。その瞬間から、ある匂いがぷ〜んと私たちの鼻腔をくすぐった。香ばしくてほんのり苦味と酸味の混じった、あの独特な匂い。それはコーヒーの香りである。

 

かなりの人が賛同してくれると思うのだが、世界中の国はそれぞれその国独自の匂いを持っている。そして、その匂いと最もドラマティックに初対面をするのが、空港という場所だ。韓国ではキムチ、インドではカレーの匂いがした、なんて話もよく聞く。ちなみに、我が日本はというと、味噌汁の匂いがするらしい。本当かどうか、私たちが世界旅行を終えて帰国した暁には、成田で鼻をクンクンさせてみなくては。

そして、アメリカの匂いといえば、コーヒーなのだ。実際、到着ゲートを出てすぐのところにコーヒー屋が「いらっしゃ〜い」とばかりに待ち構えていたのだから、そりゃ匂うわけだ。

 

だが、毅にとっては、古い記憶を呼び起こす、懐かしい香りであった。

かつて知人に、教会の牧師をしているアメリカ人がいた。毎週日曜日に訪ねた彼の家はいつも、ヨーグルトのような酸っぱい匂いがしていた。あまりコーヒーを飲みつけない毅は、あのときの匂いが、家の隅々まで染み付いたコーヒー臭だったということに、今やっと合点がいったのであった。

 

そんなことを裕子に得意げに話したら、実はこの妻、かつては豆から厳選して買っていたほどのコーヒー好き一家に育った、子供の頃からのコーヒー通だったのだ。今まで飲まず嫌いだったけれど、こりゃアメリカにいる間に何としても「違いの分かる“夫”」にならねば!遅まきながらコーヒーに目覚める毅であった。

――そして連日の猛特訓?の結果は、「…眠れないよー(泣)」ダバダ〜。

 

 

ニューヨーク、とは、ニューヨーク州の南東の端、大西洋に面する市のことである。なかでも、テレビ番組などに出てくるような、いわゆるNYは、そのほとんどがマンハッタン島という細長い島の中である。ツーリストインフォメーションでもらえるNYシティの地下鉄路線図には、カラフルに色分けされたラインがからみあい、ほぐれて郊外へと延びている。さすが大都市NY、地下鉄の複雑さも桁違いである。

ただ、私たちがいた頃は夏だったので、駅構内は熱気がこもってムンムン、一方車内は冷房が効き過ぎ。砂漠と北極を行ったり来たりである。危険と悪名高かった以前に比べたら、安全面では改善されているようではあったが。これも一つのNY名物と思えば、火もまた涼し、かな…などと油断したせいか、おかげで裕子は夏風邪をひいてしまった。悟りの境地にはまだまだ遠い。

 

 

さて、世界の首都・NYで、世界的おノボリさんを満喫しよう!というのが、今回のNY観光のメインテーマである。実質5日間の滞在中、私たちはここぞと思われるコッテコテの観光スポットを精力的に押さえていった。

 

マップを片手に地下鉄を乗り継ぎ、マンハッタンを縦横無尽に駆け回る。自由の女神にタイムズスクウェア、メトロポリタン美術館にウォール街。世界の政治、商業、文化、金融、あらゆる現代の「一番」がここに大集合しているのだから、面白くないわけがない。

 

スーツ姿のビジネスマンが、携帯に向かって大声で話しながら足早に歩いていく。メイクもバッチリ決めた女の子たちは、きゃらきゃらと笑いさざめきながら、服や靴や男の子たちのウィンドウショッピングに余念がない。道端では、ベーグル屋台のおじさんが、コーヒーをいれながらリズムを口ずさんでいる。交差点では、交通整理のポリスが、車の突進をかわしつつブレイクダンスを踊っている。歩行者信号が「進め」にかわり、たちまち人の波が路上に流れ込む。皆、背筋を伸ばし大股で颯爽と闊歩していく。

今ここにいる誰もが、いまここに居ることの喜びを全身で表現しているように感じる。まるで、「NY市民」というバッヂでもつけているかのように、胸を張ってどこか誇らしげだ。そのエネルギーが、単なる通りすがりの旅行者である私たちにもビシビシと伝わってくる。この街は、エネルギーの巨大な塊だ。ここに集まり群れる人間の様々な思いや欲望をひたすらむさぼり喰って、このNYという怪物は肥え太っていく。そんなイメージに、少し空恐ろしささえ感じる。

 

 

日曜日、セントラルパークにて。ジョギングやスケーティング、サイクリングで汗を流す人の群れが、緑の木陰の下を颯爽と通り過ぎてゆく。見るからに「平日はバリバリ仕事やってます」的な人たち。昇進に響くからか、一種のナルシシズムか、それとも単なる趣味からか。

125番街以北、いわゆるハーレムにて。活気があるのはアポロ・シアター周辺だけ、東へ行くに従って、路上で寝転ぶ人の姿が増えてくる。ここでは、化粧品の宣伝ポスターも皆黒人モデルだ。

チャイナタウンにて。もしもキオスクの新聞に英字で「New York〜」とあるのに気付かなかったら、ここがアメリカであることさえ信じられないくらい。人が多くて、ごちゃごちゃしていて、ケンカしているみたいに大声で、どこかから食べ物のいい匂いがしてきて。

 

スノッブでハイブロウな輩がSOHO辺りのお洒落な日本食レストランでヘルシーかつライトな食事を楽しんでいるとき、安い値段で高いカロリーを得られるファーストフード店には低所得層が列を成し、チャイナタウンでは――ここだけは世界中のどこの中華街とも変わらず――飽くなき欲望を満たしに来た無数の胃袋がひしめきあっている。“食”が現代を計る一つの単位だとするなら、NYは教科書の例題になりそうなくらい単純な分布図を示すだろう。

 

 

フェリーに乗って自由の女神像を観に行った後、“グラウンド・ゼロ”に足を運ぶ。

ワールドトレーディングセンター跡地は、高いフェンスに囲まれ、広大な工事現場と化していた。テレビの映像や写真でしか「以前」を知らない身としては、「以後」を目の前にしても正直なところいまいちピンとこない。ただ、何もない空間があるだけだ。

記念公園の建設工事が進んでいるのか、今や瓦礫も隅っこにかろうじて残されているだけだった。その上に、鉄骨を組み合わせた十字架が立っていた。かつては見下ろしていた周囲の高層ビル群に今度は見下ろされ、それでも、アメリカという国を背負って独り遮二無二胸を張っているように見えた。

 

911事件は、NYの人々の心に、人間的な温かみの大切さを改めて訴えかけるきっかけになったようだった。

通りで立ち止まっていると、すぐに「何か困っているのかい?道に迷ったのか?」地図を覗き込んでくる。地下鉄の改札口やビルの玄関で、皆後ろ手でドアを押さえる。後に続いて入る人のためだ。くしゃみをすると「God bless you(お大事に)!」の声があちこちから飛んでくる。バスの運転手もスーパーのレジ係も、必ず「ハーイ元気?」で始まり、必ず「いい一日を!」で終わる。

昔「NYは大都会なので人々の付き合い方はとてもクールです」と教わっていただけに、この方向転換、う〜むあまりにも分かり易過ぎる。

 

金網の向こう側をずっと見つめている人がいる。熱心に犠牲者の名簿に目を動かしている人もいる。花をささげている人もいる。NY市民、アメリカ国民、そして犠牲者の家族にとって、ここは現代に出現した新たな聖地なのだ。

そんな中、見るからに(そして実際にも)この場に居ることにそぐわない私たち。周りにも、私たちと同様に一見して観光客の姿が目立ち、というか実はほとんど観光客で、それ目当ての土産物屋や出店まで並んでいる。何というか、長居すると罰でも当たりそうな気分。そそくさと跡地を後にし、地下鉄に乗り込んでようやくホッ。今までそれほど息を詰めていたというわけか。

ちょうどこの時は2003年の9月初め、あと数日で2周忌という頃合い。911日当日にあそこへ行かないで賢明だったかもしれない。

 

 

NY最後の日、エンパイアー・ステート・ビルに昇る。土日に重なってしまったせいか、ものすごい混雑。ビルの正面入り口をくぐったときはまだ日も高かったのに、野外展望台へのエレベーターを延々待って、たどり着いた頃にはすでに暮れかかっていた。

でも、これからが実は見所。高さ300メートル以上から見下ろすNYは、360度どこから見ても完璧に美しかった。オレンジからピンク、青そして藍のグラデーションに染まるマンハッタンの夕空、黒く浮かび上がる摩天楼、地上の星ときらめく無数の灯り。瞬きする間さえもったいない!昼の喧騒も夜の狂乱も嘘のよう、誰そ彼時の魔法にかけられた街は、ただただどうしようもなく綺麗だった。

少しでも眺めの良い場所を争って押し合いへし合いの人ごみの中、私たちも何とか自分たちの“空間”を確保できた。そのまましばらく、世界の首都・NYが刻一刻と移りゆく様を、心に焼き付けた二人なのであった。

 

 

  エンパイアー・ステート・ビルからの夜景。言葉を失うばかり。